EF&SL奥利根 2008
飽きもせず、ここ2年で4回目の奥利根水上詣でです。
今回2008年GW中の運転日から子供に希望日を選ばせたところ5月4日に決定。
結果的には良い選択になりました。

何度も乗ってる奥利根号にまた乗りたくなる理由は、昨今のEF5861の状況や銀河の廃止をみて、いよいよ今に残る「国鉄」には、いつなにが起こるかわからない時期に差し掛かっていることがひしひしと伝わってきているためと、普通の12系を使った、かつての臨時急行然とした快速列車という運用形態に好感がもてるので、乗れるうちに後悔しないぐらい乗っておいても良いと思えたためです。

とはいうものの思い立つのは運転日の一月前をはるかに過ぎたころなので、上野−水上往復大人一枚子供一枚は既に満席で取れず取り敢えず復路のみ取りました。

というわけで、計画は往路のD51の走行を何処かで撮って、帰路の水上−上野に乗ることに。

そんなこんなで、考えていたところ、乗車予定日の4日EL区間は、往路EF6019復路EF655001らしいということがわかって来ました。2種類の電機が入る日を言い当てた子供の勘の良さに笑いながら(雑誌に載っていたようですが)せっかくだから、往路電機区間も乗っておこうと、あらためて上野−高崎を取りにいきました。満席になるのは蒸機区間なので電機区間だけなら空席もあるだろうという予想通り乗車3日前でも号車指定でとれました。指定したのは電機に近い6号車。この際ディーゼルは我慢です。

さて往路高崎まで乗ることなったので、上野−高崎間の停車駅で電機の撮影。高崎で一旦D51に牽かれて出発する同列車を見送ったあと、普通電車で追いかけて、普通電車が追い付く渋川以降のどこかで走行するD51を捕らえるプランにしました。

当日、上野地平ホームで待っていると、本日乗る奥利根の12系は予想通りEF6019に推進され入線してきました。
せっかくの一灯ですがシルドビーム2灯豚の鼻が残念です。ロクゴに混ざり東海道での最後の活躍も記憶にある馴染みある機関車ですが、バリバリの貨物機に牽かれる気分は複雑です。

上野を後にするこの列車の家族連れを中心とした楽しげな車内の雰囲気は嫌いではありません。車内放送はあくまで事務的に無用な演出はなし。ただし下手な演出より嬉しい客車オルゴールつき。時折ややかすれたホイッスルをならしながらEF60は走ります。EF5861に牽かれる感動はありませんが、貨物機EF60の牽く列車に乗るのはもちろん初めてだしこれはこれで貴重な体験です。国鉄時代なら500番台の牽く不評で僅かなブルートレイン時代ぐらいしかなかったのでは?

2分停車の大宮に着いたので、6号車の地の利を活かして撮影。

このあとEF5861のときのように、1分停車の駅でも挑戦しようと思いましたが途中団体客の降車(電機区間だけで団体客に利用されていたののが不思議でした。その後、駅で待つお座敷電車へと乗り換えたようです)に手間取ったため遅れ気味となり、1分停車は30秒停車になりそうだったので、撮影は断念しました。

乗車記念に、乗りながらの「走行」の雰囲気を…




やがて高崎に到着。D51を見に行く人の流れに逆行するように、切り離されたEF60の姿を捕らえに編成後部へと向かいました。

なかなか綺麗な姿です。旧型電機の流れを汲む側窓が良いですね。自分の世代、場所柄、電機の色としてはもっとも見慣れた直流標準色。この色が保存機のみでしか見られなくなってしまう日も迫っていそうですね。

編成先頭へ向かうとD51が既に発車準備に入っていました。年末の赤プレートから黒に戻されていました。相変わらずの凄い人気ですね^^;.。客レ存続のためには、良いことです。

高崎で、D51に牽かれた奥利根を一旦見送り、後続の普通列車で追いかけます。「快速」を「普通」で追いかけて追いつくというのもなんですが…。という疑問は、さておき、渋川で先行する奥利根に追い付いたかと思ったら、遅れている吾妻線の接続をとってからの発車となり、結局、乗っていた普通電車の発車は大幅に遅れ、本来の奥利根の発車時刻を過ぎてからになりました。流石に足の遅い奥利根を先行させることはありませんでしたが、これにより渋川で稼げるはずであった奥利根に先行するアドバンテージを失い、きっとこの普通電車の直後を奥利根が追いかけてくるだろうということになりました。

どこかで写真を撮りたいのですが、直後を奥利根が追いかけてきていると思うと、迂闊に降りて場所を探しているうちに通り過ぎるという最悪の事態も予想できるため、次に奥利根が長時間停車をする沼田以降で、時間的安全を見越すと駅撮り、できればローカル色豊かな駅で、となりました。山間の駅の雰囲気がありそうな上牧に決定。以前は奥利根は停車していましたが、いまは停車しないので通過の走行シーンが撮れます。

上牧で降りて対向ホームに向かいます。駅舎やそれにアクセスする道路は、ホームのずっと下なので、ホーム上は、本当にのんびりした山間のローカル駅といった雰囲気です。

ホーム先端で撮ろうと思いましたが、先客が「ビデオでターンするから前にしゃがんでもらうぐらいしかないね。」とのたまうので、まぁこんな良い陽気に雰囲気のよい駅で、制限を受けながら撮るのも楽しくないなぁと思いホーム後方へ。
ホーム後方では、あとから来た年配の方がここはいる?と気を使って声をかけてきてくれたのでいえ全然と笑顔で返答。和やかな雰囲気。

上り電車を一本見送ります。

やがて回りの山々に汽笛を響かせながらD51498に牽かれた奥利根がやって来ました。駅までは上り勾配なので、盛大な煙。駅進入で勾配が終わるので煙の勢いが弱まるかと心配しましたが、そのままの勢いで来てくれました。若干の向かい風で12系は煙を纏う結果になりましたが。

煙というファクターが入る蒸機は難しいですね。しかしいつも撮っている高速貨物と比べると遅い。

撮影後、奥利根のすぐあとを追いかけてくる普通電車で水上へ。

水上着後、転車台に向かいます。なんとか間に合いました。



方向転換をしたD51はいつもの作業線へ。

ここで、今回は、なんとHMを取り外す作業に。何でもポスター撮りがあったようでその撮影のためだったようです。




HMのつかないD51498を撮ることができたのは幸運でした。このまま12系を牽いてくれればと思いましたが、そんなことになるはずもなく、撮影が終わった時点で再びHMが取り付けられました。

奥利根乗車の合間に水上で牽引機を撮るのはこれで4回目ですが、いつも晴れていてくれるのがありがたいです。

乗車するひと、たまたま通りがかったひと、いろいろなひとたちに囲まれた人気者のD51です。きっとかつては、なぁんだD51かという扱いの時代も掻い潜ってきた末に手にした、人気者の地位でしょう。




のんびり小休止もおわり、留置(展示?)線から一旦湯檜曽方面に引き上げていったD51が駅構内に進入し、ホームに停車中の12系に連結されます。



やがて汽笛一声発車。ゆっくりゆっくり初夏の上越線を帰路につきます。今回は、5号車で釜から遠かったこともあり、釜の次位のときと比べ蒸機の振動がダイレクトに伝わりにくい感じがしました。ディーゼル発電機をもたないオハは客車らしくて良いことは良いです。

渋川では長時間停車。先頭のD51は凄い人気ですが最後部12系はのんびりムード。

スハフは、幌の収納が簡略化され、狭窓の100番台です。ちなみにに両端とも。正方形窓の方が個人的には12系らしいと思いますが、贅沢はいえません。いつまでもこの原型を保っていてもらいたいと思える編成です。年代的にはこどもにとってのこの12系は自分にとっての折妻オハ35あたりに相当すると考えるとこどもにとっては十分旧客ですね。

さて渋川を発車すると蒸機の旅も終盤です。蒸気機関車牽引列車には似合わない高崎8番線に到着すると、半日のあいだ一緒だったD51498は切り離されて帰区していきました。

替わって登場は期待通りのEF65501。一般的な人気も当然高いですが、ブルートレインブームの真っ只中東海道東京口沿線の小学生世代としては、ロクゴの500番台には本当に特別の思い入れがあります。全国唯一残ったHMも誇らしげに、1000km以上離れた目的地に向かう寝台特急の先頭に立つロクゴの500番台は、あまぎを残し昼行特急壊滅状態だった沿線のスターでした。

はじめて乗った寝台特急もロクゴ500番台牽引。そのときの往復、富士とはやぶさ2回だけが500番台牽引寝台特急の乗車経験ですが、牽引機530と541とともに自分の鉄道に関する思い出として忘れ得ぬものになっています。地域的要素を含め九州行き寝台特急とその牽引機、ロクゴの500番台は、自分の鉄道趣味のひとつの原点です。

そんなこともあり、PFに後を譲り、黙々と貨物列車を牽く元寝台特急牽引機の姿は、あまり追いかけたくないものでしたが、今回12系とはいえ青20号の客車を牽く姿は微かにですが往年の勇姿の片鱗を感じさせてくれるものでした。ロクゴ500番台の活躍した時期として自分に最もミートするのは20系全盛時代ではなく、はやぶさ富士出雲の24系化が完了し青20号の新型寝台が主流を占めはじめた時期にロクゴ500番台がオーバーラップする僅かな時期なので。

とにかくロクゴ500番台牽引列車に乗るのは、1976年7月以来31年9か月ぶり。まさか再び、ロクゴ500番台の牽く列車に乗れるなど思ってもみませんでした。1978年秋でその可能性は消えたと認識していましたから。

高崎の次の本庄では特急待避のため7分停車がありました。ここでEF65501の姿を駅撮りとはいえ撮れると思って、5号車の席にむかわず、高崎本庄間は、機関車次位のスハフに留まり、30余年振りに緩急車の貫通扉の窓越しに見えるロクゴ500番台と対峙していました。今回は、スハフ12からの501号機、前回はオハネフ24からの541号機。
時折、しかも比較的頻繁に鳴らしてくれる、ロクゴ501の甲高いホイッスル音を聞くと、小学生の夏休みにオハネ24の中段寝台から聞いていた541の鳴らすそれの記憶が甦ります。いま同じその音を自分のこどもとともに聞けていることが不思議にすら感じ感無量でした。思わず「パパはロクゴの500番台が牽く富士とはやぶさに乗ったんだぞ」といままでにも何度か話したことを501が見えるその場所で改めて話してみます。こどもは、知ってるよという反応でしたが、自分は改めてここでそう話してみて、ふと、この列車に何人ぐらいの人が、ロクゴ500番台牽引の寝台特急に乗った経験をもっているのだろうか、きっと自分ひとりではないはず、ということを考えていました。



やがて本庄停車。停車時間に余裕があるので、落ち着いて撮影。対向ホームにも行く余裕もありそうでしたが、こどもも一緒だったので無理はしませんでした。あとからやっぱり行けばよかったと思いましたが。
全検上がりのEF65501はピカピカでしたが、東京下関をフル操業で往復していた寝台特急牽引時代には、こんな綺麗な姿を見た記憶がありません。

ロクゴの500番台に限っては、HM無しの姿はいまだにどうしてもしっくりきません。寝台特急を牽引しないようになってもう30年にもなろうというのに。

非貫通にこの塗り分けはクリームの面積が多く感じられ間延びした印象を持ってしまうんですよね。こどものころから、実物も写真も常にHM付きのものばかり見ていた刷り込みの影響が強いのでしょうが。

本庄を発車したあとは自分達の席に戻り、もはや死語になりつつある急行型の室内をもつ12系の旅を楽しみました。中途半端に近代化されていると感じてしまいますが、よく考えれば、十分前時代設備です。これで、一夜を明かせといわれても、165系で何度も経験しているだけに、さほど、というか、まったく抵抗はありませんが、この現代に夜行列車がこの椅子だったらほとんどの人が抵抗を示すでしょうね。

高崎を過ぎてからのガランとした室内は、この列車が少なからずイベント要素がある列車だったことすら忘れさせてくれました。

やがて列車は、上野地平ホームに到着し、旅の終わりを迎えました。上野地平ホームもロクゴの500番台も、小学生の頃の思い出いっぱいの場所であり、車両であるのですが、この2つの取り合わせとなってしまうと、ミスマッチで懐かしいというより寧ろ新鮮です。

ここ数年、客レを取り巻く環境も大きく変化していることもあり、12系客車にもいつまで乗れるのかわからない状況ですので、いまのうちに機会ある度に乗っておきたいですね。
ロクイチ牽引ではないことは本当に残念ですが、今回は2種類の牽引機の日に当たったので、現時点ではベストだったと思います。
特に、ロクゴ500番台には特別な思い入れがありましたから。



おまけ
こどもがコンデジ(Canon Powershot A570IS)で撮ったものです。
こどもが、大きくなった頃にはこれら国鉄型はどうなっているでしょうね。
撮ったり乗ったりした記憶は、定着させてやりたいものです。